蝉が留まっていた。
男はガードレールに右足をかけ、その股を割った格好のまま左足のつま先を伸ばし、そして左手を樹皮に食い込ませて右腕を伸ばし、これはもう限界と思われるところまで体全体をピンと伸ばしきった。
男はそのいかにも不安定な体勢で、しかし驚くべきことに静止していた。静止して、蝉を狙っているのだった。
時間が止まった。
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意を決した男が、椀状にした右手で蝉を乱暴に捕まえにいった刹那!
女は「ひゃあ」と大声を出した。
蝉は逃げた。
「ジジジジッ」と鋭い声を発して、蝉は見えない何かを迂回するように、束の間螺旋を描きながらみるみる上昇していった。
●「ハンブルグ浮世絵コレクション展」に行った。今年に入って何故か江戸中期〜後期の絵師の作品をよく観ている。歌川国芳、伊藤若冲、長沢芦雪。その前には智積院や養源院を回って等伯や宗達を観ているので、これはもしかしてハマっているのか。ハマらされているのか。
●先日、古いマックを久しぶりに立ち上げて何呉となく過去に書いた原稿やらを見ていたら、3年前だか4年前だかの、次のような記事を見つけて笑った。
●いきなり「相撲取らないか!」高齢者投げ倒し5000円強奪…長野・千曲市
長野県千曲市で「相撲を取ろう」と高齢者男性を強引に誘い、引き倒したスキに現金5000円を奪った男が御用となった。
千曲署は13日、強盗容疑で同市の無職・荒井弘一容疑者(42)を逮捕した。逮捕容疑は、12日午後3時45分ごろ、同市にある神社境内にいた男性(78)を地面に倒し、その際にズボンのポケットに入っていた財布から5000円を取った疑いが持たれている。
同署の調べでは、荒井容疑者は犯行前、男性と世間話をしていたところ、唐突に「相撲を取らないか」と“取組”を申し込んだ。「何でやらなきゃいかんの」とした男性の抵抗もむなしく、同容疑者は容赦なく男性の腰に手をかけた。
「容疑者は身長170センチほどで中肉中背で、被害者男性はやせ形」(同署)という体格差、腕力差は歴然だったため、勝敗は一瞬でついた。男性の腕をつかんで引き倒した上に馬乗りになった。その際に財布を抜き取り、現金を奪った。荒井容疑者は歩いて現場から立ち去ったという。
被害者男性がすぐに110番通報。駆け付けた署員が付近にいた荒井容疑者を発見。同署で男性が 同容疑者を確認したため逮捕した。
調べに対し、荒井容疑者は「神社にはいたが、犯人は俺じゃない」と容疑を否認。また、相撲経験者ではないという。
●↑俺は何を後生大事に保存していたのか。しかしながら最後の一文は何度読んでも蛇足である。少々ムカっとくるぐらいの蛇足だ。「『何でやらなきゃいかんの』とした男性〜」などといった表現からは光るものを感じるのだが。
●あ、そうそう。薄皮クリームパンだが、フニャフニャして甘ったるいだけで今は全然美味しくないと感じている。俺はいったい何をしていたのだろうか。
なぜこんなことになったかと言えば、これはやはり「冷蔵庫で冷やしたのち食う」ことを思いついたからである。我ながらなんと奇抜な、独創的な発想であるか。ひんやりとした薄皮は、噛むと上質の葛餅を思わせる官能的な質感に生まれ変わり、みっちりと詰まったクリームの甘さはやや抑えられ、その品の良い、アダルトなスイーツ然とした口当たりときたら!。
ところが、この薄皮クリームパンがだ。これは誰に言っても信じてもらえないのだが、最近深刻な品薄状態に陥っている。(本稿を読んでいる方の中にも、『いや、普通に売ってますよ』などと言いたくてウズウズしている者があるかもしれないが、繰り返すが断じて品薄状態であって、無いものは無いのである。無い無い無い!)
百歩譲って言えば、西成区では確実に品薄である。なぜなら現実に僕は、薄皮クリームパンを求めてスーパー玉出に行って無く、スーパー越前屋に行って無く、スーパーはやしに行って無く、イズミヤに無く、少し離れた別の玉出に無いというような、大変惨めな経験を幾度もしている。ほとほと困っている。
薄皮シリーズの他の商品、つぶあんぱんとかチョコぱんとかピーナッツぱんはあるのである。特にピーナッツなどはほとんどの場合余りまくっていて、イクラの如く積まれているのである。なのにクリームパンのみが無いという現象は、これはいかなることだろう。僕はこう考えた。密かに薄皮クリームパンの大ブームが到来しているのではないか!?。どこかのオシャレな奴が愛好しているとか、ビジネス界の風雲児が毎朝食っているとか、脳の働きを活性化するとか、お肌に良いとか、そういうしょーもない風説が流布された結果、爆発的に売れているのではないか!?
というようなことを、ある事情通に相談したらその方は「そういう話は聞きませんね」と言う。安定して売れ続けてはいるだろうが、爆発的に売れ行きを伸ばしてはいないはずだという。それでは、街中から忽然と薄皮クリームパンが消え失せたこの状況をどう説明するのか、俺は現に5件も6件もスーパーをかけずり回り、目的を達せぬままトボトボ帰ってきて、頭を抱えている。この非常事態をどうしてくれる。適当なことを言うな、と口角泡を飛ばして詰め寄ると、事情通いささか考え込み、「もしかすると…」と何やら閃いた様子で、次のような可能性を示唆した。その説に僕は震え上がった。
この西成区内に、僕の他にも薄皮クリームパンの買い占めを企む輩が存在しているというのである。大体僕は薄皮クリームパンを5、6個一気に買うことにしている(ちなみに僕はこの行為を仕入れと呼ぶ)。賞味期限と僕の食するペースを照らし合わせるとそれが限界の個数だからである。そして実際陳列スペースの狭いスーパーだともうそれで薄皮クリームパンが無くなってしまう場合もある。(第三者から見れば、それは明らかに買い占めである)
それと同じことをやっている輩がこの西成区にいるというのだ。そして最近の仕入れ難を考えれば、敵が、このライバル業者が、僕の先回りをしていることは明白である。恐ろしい話だ。確実に先回りをしている。そして根絶やしにしていやがる。全て軽トラに放り込んでいやがる。どうやって彼の蛮業を止める?。注意するか?。根こそぎ放り込んでいる奴の背後から肩を叩いて、「君、それはやりすぎじゃないか」とでも言うか。
しかし正味の話、そうでもしなければ、僕はこの見えざる悪徳業者に対し永久に後手後手を踏み続けるほかない…。(向こうから見れば僕が悪徳業者であるのは、無論疑いがない話だが)

「約200メートル離れた事務所から駆けつけ」、「関節技を決めて取り押さえた」…。
迷いがないよね。行動に迷いがないね。

