「約200メートル離れた事務所から駆けつけ」、「関節技を決めて取り押さえた」…。
迷いがないよね。行動に迷いがないね。
●最近立て続けに、昔頻繁に会っていて、現在疎遠になってしまった方々から不意に連絡があり、会った。だいたい僕はライターなどという仕事に携わっているくせに極めて交際範囲が狭く、限られている。それは僕の資質と仕事のやり方に起因しているのであって、僕自身はそのことを誇らしいとも恥ずかしいとも思わないが、少なくともそうであるだけに、一度仲良くなった人たちはやはりいつまでも大切である。元K談社のIさんと現TワーレコードのAさん、お元気で。またいつか会いましょう。
●先日嫁とくだらぬことで言い争いになり、嫁の家に置いてあった荷物を憤慨しながらかき集め、引き払い、西成の自宅に帰ってきた。が、ここ数年、僕は実質的には嫁の家で生活していて、自宅には郵便物やFAXを確認するためにちょろっと帰るだけであったため分からなかったのだが、いざ本腰を入れて生活するとなると部屋の空気の悪さが不快でたまらない。実際数時間過ごすと喉が痛くなってきた。数年間まともに掃除をしていないのだから当然である。しかしながら威勢良く啖呵を切って出てきた以上、「喉が痛くなったからやっぱり戻るわ」などと情けないことは言えない。
●だがここに伏線があり、さかのぼること2週間前、僕は久しぶりに扁桃腺が腫れに腫れて、数日間40度前後の高熱に苦しんだのだった。もうあんな思いをするのは御免である。いささかでも「喉が痛くなる」のは恐怖以外の何ものでもない。
●よって慌てて掃除を始めることにした。が、掃除機の「吸い」がすこぶる悪い。吸うのに時間がかかるだけでなく、折角吸ったものを戻したりする。おそらく喉元のところで止まっているのだろう。
●耐えられん。なにせこちらは「喉痛」への恐怖感で縮み上がっている。決然と自転車に飛び乗り、L○BIに掃除機を買いに行った。販売員のおっさんが実に胡散臭い男で、どういう魂胆か知らないが、いやにサイクロン式を腐し、手入れが面倒だと罵倒する一方で、紙パック式を勧めてくる。僕は「吸い」さえすればなんでもよいので、「じゃ、それで」と言って紙パック式を買った。「ありがとっす」とおっさんは言った。
●それを大仰に抱えて帰宅し、ホースの捩れをものともせず掃除機をぶん回し、一通りゴミやホコリを吸い上げた。が、どうもさっきより「喉痛」が酷くなっている気がする。何か明確に「高熱」へと転じる予感がある。これはホコリだけではないな、と僕は考えた。ウイルスではないか。なにか得体の知れないウイルスがはびこっているのではないか。そう考えると背筋の凍る思いがして、この部屋に放置されていた全ての物にウイルスが付着しているという疑念が沸き、とりあえず目に付いた服とカーテンと布団をゴミ袋に詰め込み、捨てに行き、その足で○トリへカーテンと布団を買いに行った。
●新しい布団を引いて、寝転んでみた。少し自由な感じがした。疲れていたのだろう。そのまま数時間寝てしまった。
●起きると僕はまた震え上がった。なんだか熱っぽい。それに喉の辺りを手で触ると、ポコッポコッとシコリのようなものが、確実な手ごたえとして認識できた。あかん。これは熱が出る。もがき苦しむ恐ろしい未来。それはもはや疑いようのないものだった。残留ウイルスだ、と僕は思った。寝ている間にウイルスをたらふく吸い込んだに違いない。でなければ、こうも急速に喉が腫れるものか。
●また僕は自転車を走らせた。空気清浄機を買いに行った。僕は自分が、これほど空気の良し悪しを気にする人間だとは思っていなかった。しかし「喉痛」への恐怖は、すでにヒステリーの域に達している。その空気清浄機を担いで自転車を漕いだ。空気清浄機はクソ重かった。だが今度こそウイルスを一掃してやるという一念、このヒステリーの一念によって、僕はその任務をつつがなく終えた。
●荒々しくダンボールを開け、空気清浄機を引っ張り出し、早速作動させた。(空気が)「きれい」「普通」「汚い」のランプがあり、初め「きれい」のランプが点灯した。うそつけと思った。この部屋には殺人ウイルスが充満しておる。「きれい」なわけがないだろうが。僕はこの空気清浄機の、空気の良し悪しに対する鈍感さにうんざりした。事実、事実ここにウイルスにやられた人間がいる。その人間を前に、おまえ、「きれい」などと何故言えるか。この役立たずが。
●僕はすっかりくたびれてしまっていた。今日一日でいくらお金を使っただろう。重い荷物を抱えて、自転車を漕ぎ、喉は腫れ、熱のせいで体もだるい。僕は本当に疲れきっていた。僕は恨めしげに、のっぺりとした空気清浄機を見つめた。それは実に平板で込み入った仕掛けも無く、愛想も無く、まったく能が無いように思われた。
●しかしその時、僕はふと閃いて、タバコに火を付け、そののっぺりとしたボディーに煙を吹きかけた。僕は不機嫌な顔で見つめていた。すると、パッとランプが「普通」に変わった。
●僕はなんとも言えぬニヤけた顔をした。
●タバコを吸い終わり、数分間見ていると、ランプが再び「きれい」に戻った。文字通り、空気を「きれい」にし終えたのだろう。僕はもう一度タバコを吸い、煙を吹きかけた。するとやっぱりランプが「普通」に変わった。
●僕はほくほくして、またニヤけた顔をした。
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もはや、自分の正体を完全に隠蔽(いんぺい)し得たのではあるまいか、とほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背後から突き刺されました。それは、背後から突き刺す男のごたぶんにもれず、クラスで最も貧弱な肉体をして、顔も青ぶくれで、そうしてたしかに父兄のお古と思われる袖が聖徳太子の袖みたいに長すぎる上衣(うわぎ)を着て、学課は少しも出来ず、教練や体操はいつも見学という白痴に似た生徒でした。自分もさすがに、その生徒にさえ警戒する必要は認めていなかったのでした。
その日、体操の時間に、その生徒(姓はいま記憶していませんが、名は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいに依って見学、自分たちは鉄棒の練習をさせられていました。自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。すべて、計画的な失敗でした。果して皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分の背中をつつき、低い声でこう囁(ささや)きました。
「ワザ。ワザ」
自分は震撼(しんかん)しました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。自分は、世界が一瞬にして地獄の業火に包まれて燃え上るのを眼前に見るような心地がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。(太宰治「人間失格」より。絶対に後世へ語りついでいかねばならない「ワザ。ワザ」のくだり)
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●地獄の業火に包まれて燃え上るのを眼前に見るような心地…。何を大げさな、などと言うなかれ。そこは確かに地獄で、確かに猛烈な勢いで燃え上がっているのである。
●植草さんがまた実刑くらいましたね。
![20080416-00000028-mai-soci-thum-000[1]](http://blog-imgs-21.fc2.com/o/u/t/outofhumor/20080417010419.jpg)
心証が悪い。とにかく心証が悪すぎる。
●取りつかれたようになんども西遊記のオープニングを観る。冒頭のナレーション部分が良い。正確に言えば、ナレーションが良いのではなく音楽が良いのだろう。芥川隆之の名調子もこのときばかりは「うん、うん、ちょっと一回黙ってみようか」(←ごっつええ感じ『あざみ』より)と言ってみたくなる。
●モン・サン=ミシェル。この妙な名前の建造物をおそらく日本人の多くが知っていて、そしてもう妙な名前とは感じられぬほど愛着を持ち、憧れている。なぜ憧れたか。なにが動機か。「世界遺産」という名のブランド力が先か、モンサンの絶勝が先か。答えは多分決まっている。しかし事実、隣にはモンサンモンサンと言っている嫁がいる。やれモンサンに行きたい。やれモンサンはすごい。だがモンサンとは何事であるか。
「フランス語でモンは山で、サンは聖なるっていう意味らしいで」
「それが何や。俺はモンサンのことを言っている。言葉の塊としてのモンサンについて言っている」。ちっっ、という鋭い嫁の舌打ち。
●「パルテナの鏡」ようやくクリア。前半あれほど苦戦したのに、後半は実に簡単。「慣れ」の問題か、難易度曲線の問題か。でもおもろかった。
●まことに後味の悪い話をしよう。取材が終わって、扇町堺筋線のホームにて電車を待つ。にゃあにゃあと猫の鳴き声が聞こえた。僕ははじめ、幻聴だと思った。また聞こえた。猫を飼っていると、当たり前のことだが、猫の鳴き声を聴くのが特別でない。なんとなく、あ、猫がおるんやなあと思った。が、はたと気づいた。こんなところで猫の鳴き声は普通やないぞ。僕はあたりを見回した。線路の真ん中に灰色の猫がいた。
●あかん、轢かれると思った。俄かに胸がざわざわして、無作為にホームを歩き回ったあげく、線路に降りて猫を救うべきか否か、迷った。電車はそのとき天六に停まっていた。確実にあと数分で、クる。
●周囲のおばはん達も猫に気づき始めた。「あれ、猫ちゃんや。そんなところへおったら、轢かれるで。あっち行け、ほい、ほい」などと手を振り、悠長な構えで観ている。馬鹿な!。そんなことで猫が救えるか!?。僕はいよいよ線路に飛び込んで、猫を抱きかかえ、救出せねばならなくなった。
●しかし、本当にそれは可能なことか?。そう考えるのが僕のいやらしいところだ。軽々と線路へ躍り出て、電光石火の早業で猫を抱き上げ、「召し取ったり!」と叫ぶが早いか身の丈ほどはあろうかという線路とホームとの段差を八艘飛び。バネの効いた身のこなし。超人的な運動力だ。
●だが一般的に言って、野に住む動物を捕まえるのは、これは相当な難事業である。あまつさえ彼はただならぬ臆病さを持っている。敏捷性。これもただものでない。30も後半に差し掛かろうという小太りのオッサンが阿修羅の形相で駆け出し、己に向かって突撃せんとするのを見て、奴さんおとなしく捕まってくれるとは思えない。結果僕は、衆人の見守るなか灰色猫とスッタモンダの大捕物を演じることになる。数分で成し遂げられる任務ではない。「30代猫好き男性、線路の猫を捕まえようと電車停める」。きっとそうなる。ほら、僕は自分のことばかり考えている。
●だが、それなら非常停止ボタンを押したほうが良いか。僕はまた迷った。時間はもうない。傍らではおばはんが「あっち行け、ほい、ほい」とまだ呑気な微笑を浮かべている。電車はすでに天六を出ていた。
