out-of-humor2
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薄皮クリームパンの話
 さて、久しぶりに何から書くか。そうだ、この9ヶ月ぶりの更新で、満を持したに相違ないこのタイミングで、うってつけの話がある。薄皮クリームパンの話を読んでいただこう。僕がヤマザキの薄皮クリームパンにハマったのは人生でおそらく3度目か4度目であるが、今回ほど深くハマったことはない。誇張でなく毎日食っている。下手したら、1日に2パック食っている。薄皮クリームパンは1パックに5個入っているので、多い日には1日10個ものクリームパンを食っているということになる。どうです、いかにも頭の悪そうな話ではないか。
 なぜこんなことになったかと言えば、これはやはり「冷蔵庫で冷やしたのち食う」ことを思いついたからである。我ながらなんと奇抜な、独創的な発想であるか。ひんやりとした薄皮は、噛むと上質の葛餅を思わせる官能的な質感に生まれ変わり、みっちりと詰まったクリームの甘さはやや抑えられ、その品の良い、アダルトなスイーツ然とした口当たりときたら!。
 ところが、この薄皮クリームパンがだ。これは誰に言っても信じてもらえないのだが、最近深刻な品薄状態に陥っている。(本稿を読んでいる方の中にも、『いや、普通に売ってますよ』などと言いたくてウズウズしている者があるかもしれないが、繰り返すが断じて品薄状態であって、無いものは無いのである。無い無い無い!)
 百歩譲って言えば、西成区では確実に品薄である。なぜなら現実に僕は、薄皮クリームパンを求めてスーパー玉出に行って無く、スーパー越前屋に行って無く、スーパーはやしに行って無く、イズミヤに無く、少し離れた別の玉出に無いというような、大変惨めな経験を幾度もしている。ほとほと困っている。
 薄皮シリーズの他の商品、つぶあんぱんとかチョコぱんとかピーナッツぱんはあるのである。特にピーナッツなどはほとんどの場合余りまくっていて、イクラの如く積まれているのである。なのにクリームパンのみが無いという現象は、これはいかなることだろう。僕はこう考えた。密かに薄皮クリームパンの大ブームが到来しているのではないか!?。どこかのオシャレな奴が愛好しているとか、ビジネス界の風雲児が毎朝食っているとか、脳の働きを活性化するとか、お肌に良いとか、そういうしょーもない風説が流布された結果、爆発的に売れているのではないか!?
 というようなことを、ある事情通に相談したらその方は「そういう話は聞きませんね」と言う。安定して売れ続けてはいるだろうが、爆発的に売れ行きを伸ばしてはいないはずだという。それでは、街中から忽然と薄皮クリームパンが消え失せたこの状況をどう説明するのか、俺は現に5件も6件もスーパーをかけずり回り、目的を達せぬままトボトボ帰ってきて、頭を抱えている。この非常事態をどうしてくれる。適当なことを言うな、と口角泡を飛ばして詰め寄ると、事情通いささか考え込み、「もしかすると…」と何やら閃いた様子で、次のような可能性を示唆した。その説に僕は震え上がった。 
 この西成区内に、僕の他にも薄皮クリームパンの買い占めを企む輩が存在しているというのである。大体僕は薄皮クリームパンを5、6個一気に買うことにしている(ちなみに僕はこの行為を仕入れと呼ぶ)。賞味期限と僕の食するペースを照らし合わせるとそれが限界の個数だからである。そして実際陳列スペースの狭いスーパーだともうそれで薄皮クリームパンが無くなってしまう場合もある。(第三者から見れば、それは明らかに買い占めである)
 それと同じことをやっている輩がこの西成区にいるというのだ。そして最近の仕入れ難を考えれば、敵が、このライバル業者が、僕の先回りをしていることは明白である。恐ろしい話だ。確実に先回りをしている。そして根絶やしにしていやがる。全て軽トラに放り込んでいやがる。どうやって彼の蛮業を止める?。注意するか?。根こそぎ放り込んでいる奴の背後から肩を叩いて、「君、それはやりすぎじゃないか」とでも言うか。
 しかし正味の話、そうでもしなければ、僕はこの見えざる悪徳業者に対し永久に後手後手を踏み続けるほかない…。(向こうから見れば僕が悪徳業者であるのは、無論疑いがない話だが)

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普通
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 大正駅の近く、「おもろ」で沖縄料理を食べてきました。
 美味しかったさ~。

 などと、「普通のブログ」風に書いてみる。
スペアリブなんて知るか!
すぺあ

 今、私はとても忙しい。
 年末年始に録画した特番を一刻も早く観なければならない。時間の許す限り観ているのだが、並行して新しく録画するものもあり、ついそちらから先に観てしまうこともあるので、未鑑賞番組の全体数はほとんど減っていかない。
 だがそうすると必然的に、暮らしぶりは大変味気ないものになる。正月以来、めでたいことなど何もない。部屋に籠もってひたすらビデオを観るだけである。
 私はそれで一向構いはしない。が、嫁はやはり納得がいかぬようで、このクソ忙しい最中、堀江にイタリア料理を食いに行った。
【トマトとモッツァレラチーズのサラダ】と【ホタテと????のパスタ~アサリ風味】を食い終わり、メインの【イベリコ豚のスペアリブ~二人前】が運ばれてきた。
 このイベリコ豚を、私はなんとなく頼んだ。特別な意図はない。しかし皿に盛られた【茶色の棒】を前に、私の手はぴたりと止まった。
 私自身びっくりしたことは、自分はこの年になるまでスペアリブを食ったことがない、という事実であった。積み上げられた【スペアリブ】を、至近距離で見て初めてそのことに気付いた。私は【スペアリブ】という言葉を知り、発語し、その物体のビジュアルを知り、結果、なにを狂ったか、その【言葉の身近さ】によって実際食ってもいないものを食ったと誤認していたのである。、
 その証拠に、現に私は今、この茶色の棒をどのように食うのかが分からないでいる。手を、こまねいている。
「これはどうやって食うの?」蟹のようにナイフとフォークをハスに構えて私は尋ねた。
「手で食べたらええねん」と嫁は言い、棒の両端を摘んで何彼なしに齧り始めた。
 それでいいのか、と私は少し安心し、しかし若干の警戒心を抱きつつ、嫁の食う様を上目で盗み見ながら恐る恐る棒に齧りついた。
 山城慎吾風に言うならば、私はこの【イベリコの豚の棒】を、ひとしきり表にしたり裏にしたりしながら齧った後、もうこれ以上食えまい、食う部位は微塵もあるまいと判断して、一回り細くなったそれを皿に返した。
 しかし…、
「いやいやいや。ちゃんと食べようや」
 嫁はそう言って、自分の齧り終えたそれを皿に返した。からんと音がした。見ると、それは象牙のように白く、鈍い光を放つ棒であった。それは【骨そのもの】だった。
 一方、私の置いた棒は白さのカケラもなく、こんがりと焼けた薄皮や肉片が、ターザン山本の頭頂部のような乱雑さで散らかって付着していた。とはいえそれは、とてもしつこい感じでこびり付いているので、歯でもってコソギ落とすことができるかどうか、不明である。
 というか、確かにそれはまだ食えるかもしれないが、食うべきでない部分ではないのか。スイカやメロンの内壁に近き白い部分と同じで、それを食うのは行儀に欠けるということにならないか。私はそう思った。なぜなら、歯でコソギ落とすなんて、これは公にはやってはいけない事だからである。
 けれども、嫁の置いたそれの、なんと清清しい色だろう。
 私は、嫁の骨と私の骨をしばらく無言で見比べ、非常に嫌な気分になった。
 白く輝く棒とケバ立った茶色の棒。
 その違いが象徴するものは、なにか身分の違い、出自の違い、生まれ持った品性の違いだという感じがした。
「くだらん食い物さ」私は言った。
「分からんのは、この焼き目だ。骨についているのか薄皮についているのか。つまり、どこまで噛んでよいのか分からん。それに見ろ、手がベタベタだ。ろくなものじゃない」
 私は油で光った手を拭いた。執拗に、ぐいぐいと手を拭きながら、私は言った。
「もう、2度と食わんよ。頼まれても俺は、一生スペアリブなんて食わん」
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