out-of-humor2
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秀頼最強説
 テレビ大阪「超歴史ミステリー」(再放送)を観てビックリしたのですが。

 豊臣秀吉の嫡子・秀頼。

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 この男、なんと197センチ161キロという巨漢だったとか。
 マジで!?。
「ベイダー」クラスやないか。

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 ↑皇帝戦士!
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出たか…
「ジャニーズ初の国際コラボ!ヤマピー&タイのタキツバ」

 ついに出てしまった「GOLF」という名のアーティスト(?)を、私は晴れ晴れしい驚きをもって迎えるつもりだ。
 だが、その驚きは何に向けられているのだろう。アーティストに「GOLF」と名付ける感性か、あるいは彼らがジャニーズという事務所から出てきたことか、タイ国から出てきたことか。(ちなみにタイはタイガーウッズの母親の故国ですね)

 しかしともかく思うのは、

 取材してみたい…。

「じゃ、GOLFさんに伺いますが…」

とか

「今の話、GOLF君はどう思うかな?」

と私は言いたい。
苔男
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 そもそも私が何故苔が気になり始めたか。まずこれについて述べてみましょう。
 
 約1年半前、ゴスペラーズというグループの取材がありました。「ミモザ」というシングルのリリース時だと思います。
 前日、取材のための下準備をしている時、ふと私は「ミモザの花言葉はなんだろうか?」と思いました。
 なぜそんな気持ちの悪い事を思ったかは、今となっては思いだせません。歌詞中か、もしくは紙資料の曲解説中にそう思わせる表現があったような気がするのですが、これはハッキリした記憶ではありません。
 ともかく私はネットでミモザという花の花言葉を調べた。するとそれはすぐに分かりました。(ただ、もちろん取材中にそういうお寒い話は一切しませんでしたが)
 さて問題はここからで、私が閲覧したそのサイトには「誕生花を調べよう」というコンテンツがあり、下準備にもそろそろ飽き始めていた私は、「おい、お前自分の誕生花知ってるか?」と嫁を呼び、まずは私の誕生日を打ち込んで誕生花を調べました。
 そのとき出てきた誕生花に私は戦慄した。

「コケ類」

…苔!?、俺、苔か!?

 横で嫁がきゃっきゃっきゃと喜び、ふかわりょうにまとわり付く外人のように笑い転げました。
「(笑)苔て。あんた、こ、苔て」
 私はすこぶる陰鬱な気持ちになりました。もっとあるだろう、バラとかチューリップとかカーネーションとか、そういうシュッとした花があるだろう。それをこともあろうに、苔とは!?
「もうやめた。知らん。誕生花なんてあほらしい。どうせこんなもんは誰かが勝手に考えておるのだろうが、人のところに苔をあてがう神経が許せん。苔と言われた人の気持ちをこいつは想像だにしておらん。第一、苔に花なんてあんのか?」
 私は荒々しくPCの電源を落とし、その日は取材の下準備もおざなりに、憤慨して寝たのを覚えています。

 ところが、それ以後何くれとなしに苔が気になるようになってきた。西成の連続する長屋を分けるブロック塀に、新なにわ筋と並走する高架レールの橋脚に、大国町の雑居ビルの側面に、私はうっすらと、あるいはしっとりとした苔を発見する度に立ち止まって見入るようになりました。
 そのことを私自身は可笑しく感じていました。あの時、あんなに憤慨してみたものの俺は大層気にしているじゃないか、と。

 それから時を隔てず、私は苔のことをもっと知っておかなければいけないんじゃないかという義務感のような思いが沸いてきました。
 私はネットで調べてみました。訪れた「苔サイト」の「コケの性質」というパラグラフにはこう書いていた。

「苔は他の植物と異なり、根を持ちません」

 根が無い、根が無いか…。それはとても恐ろしいことだ。
 また続けて、

「よって空気中に漂う水分を吸収して育つのです」

 ここから私の奇妙な自己同一化か始まるのですが、私は率直にこう思った。
 根が無くて、空気中の水分を吸収して育つ苔。これはやはり俺そのものではないか。

 思想的、宗教的な立場、原理(根)を持たず、氾濫する情報のなかから恣意的に選び取った知識(空気中の水分)を頼りに、薄暗い部屋で不気味に増殖を続ける私という人格。
 これが苔でなくて一体なにか?

 また、一方で私は、苔とは日本そのものではないかとも考えました。その講釈はここでは遠慮するつもりですが、一点だけ例を挙げたいと思います。

 武田泰淳の代表的な小説に「ひかりごけ」というのがありますが、この「たいていは穴の奥の薄暗い場所で育つ」ヒカリゴケという苔は一風変わった性質を持っています。
 以下「苔の話」(秋山弘之著)から抜粋してみましょう。

***************
 ヒカリゴケの本当の植物体は白っぽい薄緑色でとてもなよなよした体つきをしています。~(中略)~そして、この植物体自身はまったく光りません。光って見えるのは、植物体が生えている地面のほうです。肉眼ではよくわかりませんが、実はこの地面の表面には、ヒカリゴケの原糸体が薄い膜のように広がって生えているのです。原糸体の顕微鏡写真を見ると、細長い糸状の原糸体のほかにたくさんの円盤状の細胞が目立ちます。この円盤状の細胞では、黄緑色の葉緑体が一ヶ所に集まり、ちょうどレンズのような働きをして、穴の入り口から差し込んでくる光を反射します。~(中略)~なぜ他のコケにはほとんど見当たらない、こんな奇妙な仕掛けが発達したのかはよくわかっていません。強いてその理由を挙げるならば、ヒカリゴケが生える薄暗い場所でわずかな光を効率的に利用できるように、集光レンズのような葉緑体が生まれたのでしょう。
***************

 なんと小心な生物だろう、ヒカリゴケ。
 早い話がこういうことなのです。

 ある程度の光度がある場所では、他のコケ類やシダ類との生存競争があり得る。それを避けるために奥へ奥へと移動し、ついに競争他種はいなくなったけれども、生存可能な光度を下回る場所まで来てしまった。
 だから集光レンズなどという特殊なテクノロジーを開発し、それを利用して生き延びているわけです。
 元々薄暗い場所が好きなのでしょう。しかしそんな面倒臭い装置を編み出す情熱があるのなら、正々堂々と生存競争に打ち勝ってみせればよいのですが、そうしなかった、もしくはそうできなかったところにヒカリゴケの情けなさとユーモアがあるのだと思います。そしてその情けなさやユーモアは、「日本」という国のそれと性質上さして違いがあるとは思えないと言えば、いささか短絡に過ぎるでしょうか。

 追記:焚き火跡などに現れるヒョウタンゴケ、人間の立小便跡に忽然と現れ、すぐに消えるヤワラゼニゴケなどは、最適な生存場所を求めてあちらこちらを放浪する性質だとか。オランダのコケ学者ドュリングは、この性質を高等植物ではあまり見られない戦略と位置づけ、かかる種を「逃亡者」と呼ぶらしい。
 懐かしや。スキゾ(浅田彰)の定義と酷似していませんか。
魯迅に萌える
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 わあ。
 萌えるね。萌えるわ~。
 元K談社のキャサリン・ゼタ・ジョーンズことI女史から頂いたものですが、魯迅の「野草」英語版です。
 彼女の説明によると、上海で出版された本書は何故だかあまり重版されていないために希少なのだそうです。
 この画像ではどうせよく分からないでしょうが、絶妙の版形と発色ではないですか。
 それに「Lu Hsun」というなんでそーなるのかよく分からない英語表記。シンプルながら3種類のフォントを組み合わせた大胆不敵なデザイン。
 可愛いすぎる…。

 I女史は僕が魯迅を好きだということ(ゴルフ狂正伝「震える筆」参照)を覚えてくださっていて、この度帰阪された折に持ってきてくれたのでした。
 僕はコレクター気質が皆無で、「希少」とか「プレミア」とか、そういう文句には心動かされない性質であるし、「物自体」をフェティッシュな目で見ることが少ないと思っていたのですが、これに関してはパッと見た瞬間に急激にテンションが上がってしまった。

 この場を借りて、もう一度お礼を言います。
 ありがとう、大事にします。
 僕などには過ぎた逸品です。
ゲームのウマいウマないについて
 ニンテンドーDSでテトリスをやっているのですが、なかなか上手くいきません。
 購入したとき、「わし、テトリス上手いで。往時ゲーセンでワシがテトリスやってたら人だかりができてたで」と嫁に豪語していたのですが、これは根も葉もないホラ話ですから上手くいかないのも当然です。
 ちょっとばかり速くなるとたちまち泡を食って、一気に上まで持っていかれる有様。
 なにしろ、どのボタンを押せばLや凸が左右どちらに回転するか、それが私の脳に未だ染み込んでいないのですから。
 こんなことはテトリスの上手い人にとって至極基礎的なことだと思います。しかし、それすら会得していないくせに「ワシ上手いで」とムチャなことを言うオッサンがいる。
 嫁もそろそろ疑いを抱き始めていると思うのです。
 しかし私は気付いてほしくない。ことに、私が開き直って結局Aボタンだけしか使っていないことだけは。
 一回Bボタンを押せば済むところを、Aボタンを3回押していることだけは。

 こういうホラ話は対戦すれば一発でバレる類のものです。でも私は対戦なんて絶対しませんから、非常に閉じた世界のなかで、私は永久に「テトリス上手い」と言い張り続け、嫁は男の真の実力に薄々気付きながらも、面倒臭いので黙認し続けることになる。
 ネット上で数分検索すれば、DSテトリスの超人的な記録を持つ人をいくらでも見つけられると思いますが、そんなこと私は知らない。

 昔、例えば高校入学とか大学入学によって人間関係が再編されたとき、「おれファミスタ強いで」と言う奴が相当な数いることを、私は気にしていました。
 というより「おれファミスタ弱いで」と潔い自己申告をする人を私は見た事がない。
「ファミスタ」体験がある人は、九分九厘「自分は強かった」と申告するといっても過言ではないと思います。
「ウイニングイレブン」とか「みんゴル」などにもそうした傾向はあると思いますが、私の感じでは「ファミスタ強い率」は他のゲームに比べても異様なほど高いと思います。
 しかし、そうそう強い人ばかりいるわけはないので、おそらくあれも大半は嘘なのでしょう。
 しかしこういう嘘は私に言わせれば誠に可愛らしい、魅力的な嘘です。
 インターネットの普及によって、もしくはネット対戦可能のゲームが増えたことによって、無軌道にこういう嘘が流通しなくなったとすれば、それは私は寂しいことだと感じます。
 
 私が中学の頃、初代ゼルダとかワルキューレとかドルアーガとか、割と謎解きの充実したゲームをビックリするほどの短期間でクリアする奴がいました。
 彼はなんでも知っていました。難解な宝箱の出現条件をどれだけ彼に聞いたことか。
 彼は私によく言っていました。「怪しい場所があるじゃろう。まずそこを発見せにゃあ。それはもうセンスじゃけぇ。センスを磨かにゃあいけんで」
 しかしある日、そいつの外出した隙にツレと2人で机の引き出しから押入れから徹底的に家捜ししたところ、ゲームというゲームの攻略本が出てきた。
 私たちはしかし、そのことを本人には告げませんでした。表面上彼は、私たちの間で「ゲームの神」であり続けた。
 その後、彼の「ゲームにまつわる能書き」を私らが必ずニヤニヤして聞くようになったとしても、そんなことは大したことではありません。
 
電車の延長上にエレベーター
 先日、私がマンションのエレベーターに乗ったとき、私を追うように一人の若者が乗り込んできました。彼は「4階」を押しました
 その若者は扉が閉じたのを確認したのち、持っていたコンビニ袋から実にスムーズな動きでオニギリを取り出し、何食わぬ顔でムシャムシャと食い始めました。
 そして彼は4階で降り、カカトにバネを仕込んだようなファンキーな歩き方で食いながら消えて行ったのですが、私はマンションのエレベーターでメシを食う奴を初めて見ました。彼は一体なんの事情があって、帰宅まであとわずかのところで食い始めねばならなかったのか。
 例えば、電車内でメシを食う若者の行動に、「モラルの低下」を見る論者は多いと思います。で、僕が気になるのは、エレベーターのなかでメシを食う奴は、これはモラルの問題なのだろうかということです。
 あるいは、エレベーターは電車の延長上にあるのか。はたまたまるっきり別の事象なのでしょうか。

 その男の所作が大変如才無い感じといいますか、「できる男」を思わせる感じといいますか、とにかくあまりに自信タップリの様子だったのでつい気になってしまって…。
疼痛でクッと言う
 今、風邪を引いてシャレにならんほどしんどい。喉が嗄れて声を出すのが辛いし、計ってはいないが間違いなく高熱がある。横になっていると、全身のありとあらゆる関節を瞬間的な疼痛が襲う。その都度私はビクリと体を動かし、喘ぎとも呻きともつかぬ短い声を「クッ」と上げる。
 それが数十秒に一回はある。
 壮絶なるかな、おっさんの闘病図。
 しかし過去何度も私の「そういう姿」を目の当たりにしている嫁は少しも心配していない。それどころか「またか」と辟易している様子ですらある。
 私はそんな嫁の気持ちを理解できる。それが生活を共にする者の実感というものだ。
 だが舌鋒鋭く次のように言われては放っておけない。曰く「芝居がかっている」。曰く「同情を乞うている」。あるいは、自分はそんな関節痛を経験したことがないし、仮にそうなったとしても「クッ」などと無様な声を漏らすわけがない。大げさに振舞うのは金輪際やめろと実に憚りの無い御意見。
 甚だしい誤解である。だが、これに反論するのは困難を極める。痛い喉を振り絞って私は言う。「そやけどものすご痛いねんど。そら俺もクッ、我慢できるもんならするけどな、でもクッ、おまえな、いきなり関節がズキッとなってみ、そしたらクッ、あのね、誰が我慢できる。そや、おまえな、シャックリ我慢できる?、あれとクッ、同じやがな。あァ、分からんかな、この痛み」
「だからそれを止めろ」と言わんばかりの呆れ果てた嫁の顔。どう言えば理解してもらえるのだろうか。
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