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紛失について
 昨年、書こうと思っていたことを断念したり、あるいはすっかり忘れてしまったり、ひどいときには、前フリをしていながら結局書かず仕舞いに終ったことが実はしばしばありました。これはいかん、人生は短く、書く時間は限られている。書くべきことは、いやたとえ書くべきことでなくても、「書けること」はその都度書いていくべきで、たかがブログに妙な倫理観を寄せるのは馬鹿げているけれども、しかしなるべくそのように書いていきたいと私、思っているのであります。

 よって昨年し損ねたことを。「三好達治」と題された随筆/作家論の全文を掲載し、小林秀雄のユーモアの質の高さを世に問うてみる。

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「三好達治」 小林秀雄

 三好達治から「夜沈々」という随筆集を貰い、面白く読んだ。どれもいかにも正確な感じのするいい文章だが、特に「小動物」と題する文がよかった。
 その中の一つで、蛙を呑んだ青大将の尻尾を踏んずけて、折角呑んだやつを吐き出させる話を書いている。尤もこれは彼がやろうと思ってやった事ではなく、何を考えて歩いていたのか知らないが、散歩している途中の或る一歩が、偶然蛙を呑んだ青大将の尻尾の上に乗っかり、彼がぼんやりそうしていると、意外にも食物は蛇の腹を逆に動き出し、外に出ると蘇生して、二匹は又別々に暮らさねばならぬ様になったのであるが、彼は一寸得意な気持ちであったと言っている。実に尤もな気持ちで、何んだかおかしくて堪らなかった。
 しかし、そんなのは例外で、彼がその好きな「小動物」に関して得意になり損なった経験は、恐らく枚挙に暇がないのであって、鎌倉に来るともうすぐ失敗している。彼は自分で書かないかもしれないから、一例として挙げて置く。或る日、どうしても行かねばならぬ様子で伊豆の湯ヶ島に行ったが、やがてお玉じゃくしを五六匹壜に入れて帰って来た。ガラスの金魚鉢に水を張り、中央に、ただ砂利を大きくした様な変哲もない石をしつらえ、こいつ等は必ず河鹿(かじか)になると大騒ぎであった。見たところ別にそこいらにいるお玉じゃくしと変りがないじゃないか、というと、いや、これを採集した山は下等な蛙なぞ棲めぬ川だ、と言う。まことに薄弱な根拠なのだが、彼の確信を支えるには足りる。
 その後、訪ねる毎に、お玉じゃくしの肥り具合を見せられた。これも彼の確信に依るのだが、お玉じゃくしの食料は、食パンに限るそうで、金魚鉢にはいつも、お玉じゃくしには凡そ不似合な大きな食パンの切れが浮いていた。そして隣の犬がパンを狙うので油断がならぬ、と彼は言っていた。
 隣というのは佐藤信衛の家で、これは哲学者だから、お玉じゃくしなぞ眼中にない。その代り犬は非常に可愛がっている。何の取柄もない平凡極まる駄犬であるが、取柄のある様な犬はつまらぬというのが彼の説で、無芸大食の愛犬が、隣のお玉じゃくしの食料を失敬する一芸あるを発見し、彼は、おや、そうかい、失敬、失敬と三好に嬉しそうに言った。
 或る夜、佐藤の家で大岡と三人、取り止めもない話をしていると、三好が金魚鉢を抱えてやって来た。遂に河鹿の子になったと言う。見ると小豆粒ぐらいなのが、石の上にとまっている。仔細に見ると成る程蛙ではあるが、誰も格別異色ある蛙とは認めなかった。そこらの蛙なら動作がこうは敏捷に行かないのだと、濡れたのを畳の上に置いたり、掌の上に乗せてみたりしたが、蛙は何んとなくぐったりした様子であった。
 帰りがけに、三好は、河鹿の網籠を買うと言って、僕等を送って来た。彼は背中の出来物を切開したばかりで出歩くのはよくないのであるが、河鹿の夢に憑かれたあんばいで、鳥屋を二軒、金物屋を二軒聞いて歩いたが、生憎売っていない。彼は残念そうにニヤニヤ笑い、僕はというと、どうせエボ蛙に化けるなら金魚鉢より河鹿の籠の中で化けて欲しいと思っていたので、これも恐らく残念そうな面持ちでニヤニヤした。何はともあれ、生ま暖い海風が吹いて、何んとなくおかしい様な妙な気持ちの夜であった。
 その後、お玉じゃくしは食パンで二匹蛙になった様子であった。一匹は女中が座敷を掃いている時、偶々畳の上にいたらしく、埃と一緒に庭にけし飛んだ、と三好はいまいまし気に説明したが、あとの一匹は何となく逃げ出したそうだ。これは蛙になると食パンを食わず、生きた蚊をやるのが種々技巧を要し、ごたごたしているうちに隙を見つけたらしいと言う。蛙の動作が敏捷だった為か、三好の動作が敏捷を欠いた為かどちらか知らないが、話が不得要領に終って了って読者はさぞ残念であろうと思う。

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 「話が不得要領に終って了って残念」どころか、これほど要領を得た結末がありうるでしょうか。
 そう、つまるところ「なんとなく逃げ出す」のです。なんとなく失せるのである。我々にとっての河鹿だって、いつ「なんとなく逃げ出す」か分かったものではないと付け加えれば、おそらくこの一編の良さを損なう以外の効果はないかもしれないけれども、しかし冒頭の「書こうと思っていたことを忘れる」などというのも、結局ここに収斂される問題なのだと思います。「紛失」はいつも非・意味であり、その理不尽さは僕にとって換えがたいユーモアです。たとえば「喪失」などと言い換えれば直ちに失われてしまう、単独的な、かつ広がりのある概念です。
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コメント
この記事へのコメント
だから…、この録りためた番組をどうするかということだが、こうなると大して観たくもないのに「ま、ええか」と録ってしまった番組が非常にウザイ。九分九厘おもんないやろなーと思いながらも録ってしまった「三丁目の夕日」とか。誰かに「おい、そんなもんは観る必要ないで!」とキッパリ言ってほしい。
2007/01/15(月) 12:01:05 | URL | aka #-[ 編集]
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